私たちイズミ農園は、健康でおいしい野菜作りと安定供給に自信と自覚をもち、働くことに生きる喜びを感じています。
  健康でおいしい野菜とは何か。それは心身ともに健全な人間と同じように医者や薬の力を借りずに、自然の恩恵で立派に成長した美味な野菜です。たとえば私たちは日頃農園で働いていて咽喉が渇くと、水を飲むかわりに自分たちが育てたレタスをその場で食べるのですが、誰もが思わず「うまいなぁ」と自然の恵みに感謝し、この美味を早く消費者に届けたいという願いでいっぱいになります。

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  イズミ農園の誕生は、1980(昭和55)年。6年間勤めたサラリーマン生活に見切りをつけた梅津鐵市が、母親の生まれ在所である山梨県大泉村で、まず30aの農園を借りて野菜(レタスとトマト)作りを始めたのが、出発点でした。
  八ヶ岳連峰の伏流水が湧き出す大泉村は、前景に富士山と甲斐駒ケ岳を望む素晴らしい景観の土地。「この大地で農業を」と、まず風景の美しさに心を撃たれた動機こそが、やがて独自の栽培技術と経営哲学を生み出す強い基盤になりました。梅津にとって、大泉村こそが<わが、まほろば>であり、「農=食」の原点になったのです。


1980(昭和55)年
山梨県大泉村で30aの農地を借りレタスとトマトの栽培を始める。
野菜の相場変動の激しさに驚き、対策を考え外食産業への販売ルートを開く。(この年の粗収入約150万円、主労働2人)
1982(昭和57)年
農地(借地)を10倍の300aに拡大し、季節パートとして農家の女性4人を雇う。
1983(昭和58)年
農地(借地)をさらに600aに広げ、周年出荷、リスク分散のため「高度差利用」栽培をスタートさせる。大泉村のほか甲府市郊外にも借地を広げた。
1984(昭和59)年
レタス、トマトなど栽培技術の修得に思考錯誤の実験を続ける。特に肥料作りで様々な方法を試みた。
農地(借地)は800aに拡大して、パート雇用の女性も10人に増やした。
一方、販売戦略として3(産直と直販)、3(市場との予約相対)、3(中央卸売市場への出荷)、1(実験試作した野菜の販売)の方法を導入した。
1985(昭和60)年
レタス、トマト、ブロッコリーなどの新品種への挑戦。しかし失敗が多く100aのレタスを放棄したこともあった。
1986(昭和61)年
農地(借地)を1200aに拡大し、パートの雇用も14人に増えた。
1987(昭和62)年
山梨県大泉村に加工部門のひとつとして「野菜カット工場」を設立。保冷庫と氷温冷蔵庫も備え安定出荷、流通コストの低減を計る。
法人化へのステップのため泉農事組合を設立した。
1988(昭和63)年
農地の「緯度差利用」を考え、北海道から沖縄まで契約農家と出荷契約農協を訪ね、栽培技術の指導に奔走する。
1989(平成元)年
5月、有限会社イズミ農園として法人化した。(社員6名、パート10名)(主要生産地、品目は事業内容を参照のこと)
1990(平成02)年
埼玉県玉川村に配送センターを建設。イズミ農園の栽培技術、販売戦略に共鳴する農家は12道県300戸に及び、集荷配送の拠点となる。
1991(平成03)年
栽培技術の実験研究の中で大きな課題であった「水の技術」が体系化できた。
食品加工部門に冷凍技術を生かした惣菜弁当の生産販売が加わった。
1992(平成04)年
生産品目も10種類に増え、従業員とパートを含め働き手は50人になった。
1993(平成05)年
微生物資材の開発が終わり、ボカシ肥の体系作りを始める。
1994(平成06)年
伊藤忠商事と埼玉県嵐山町の2000平方メートルの物流センター創立。社員30名、パート60名、出来高19億。
1995(平成07)年
(株)すかいらーくと、(株)いずみを設立(特別栽培農産物の販売会社出資比率は、すかいらーく49%、梅津51%) (株)いずみにイズミ農園より委譲。(有)イズミ農園・社員15名、パート40名。(株)いずみ・社員20名、パート30名、出来高20億。
1996(平成08)年
(有)イズミ農園は農家に技術指導を行い、その生産物を(株)いずみに売る。イズミ農園試験農場15ha。イズミ農園出来高30億円。
1997(平成09)年
(株)いずみ解散。イズミ農園出来高28億、社員38名、パート108名。
1998(平成10)年
伊藤忠商事と業務契約締結。新・株式会社いずみ設立。イズミ農園出来高(半期)15.5億円。社員40名、パート108名。
1999(平成11)年
株式会社中部いずみ設立―名古屋地区の営業販売を開始。イズミ農園100ha計画作成―完成予定2006年。
1.露地野菜―60ha、2.果実―30ha、3.加湿ハウス―10ha
大泉村のネットワークの中で、別農業法人を設立し野菜のカット専用規模―1000平方メートルで最大処理量1日20,000kg
2000(平成12)年
露地野菜―25ha、果実・桃―2ha、試験用加湿ハウス―20a
企業退職者向けに(リース農業)を開始。20組30人が集まり、前後2回の勉強会を実施。そのうち、2組が2000年度より農作業開始。後続の人たちはさらに1〜2年勉強してから参加の予定。
2006(平成18)年
桃生産のため農地取得。(78a)
2007(平成19)年
鉄骨ハウス5棟(10,008u)を使ってパプリカ等栽培。伊藤忠商事と合弁で(株)アイスクウェア設立。
2008(平成20)年
日本ブランド農業事業協同組合(JBAC)山梨事業所建設。     敷地面積6785u自社所有、鉄骨造り2805u;北杜市須玉町に事務所移転。施設を利用した野菜予冷,ねぎ剥きライン稼動。
2009(平成21)年
夏は青森県、冬は愛媛県で野菜つくり。JBAC青森、愛媛の法人に梅津農法伝授。
2010(平成22)年
アイスクウェアの事業を伊藤忠フレッシュへ譲渡。
2011(平成23)年
山梨県中央市に圃場拡大。(6ha)

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  2001年から運営を開始している「サイバーファーム(電脳農場)」は、IT技術によるインターネットを使って、全国に点在する契約農家を結び、一つの農場のように技術の均一化と共有化を計るネットワークシステムです。この「サイバーファーム」の特徴は、個々の農家がその都度入力する作業日報が農場管理データとして蓄積される点にあります。各農場の基本データ(使用肥料や農薬など)、年間作付計画はあらかじめ登録して、拠点となるサーバーで一元管理し、農家からの技術問い合わせには素早く診断を下し指示できるようになっています。当然インターネットで画像も送受信できるため、より適確な判断と技術伝達が可能です。
  しかも蓄積されたデータベースは、品質管理の徹底、出荷計画の把握になるだけではなく ≪栽培履歴≫ が明示されるため消費者が品質を確認できる"証明書"ともなるわけです。<健康で元気な野菜は、いっぱい収穫できるときが美味なのだ>そのための栽培技術の向上が、品質の均一化と消費者の求める情報公開にも結びついていくはずです。「サイバーファーム(電脳農場)」は、ほぼ完全なトレーサビリティを実現するとともに、生産農家が自主基準を持ち、消費者にも品質のよさを明示できる技術の自覚と自信をもたらすシステムなのです。

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  まず、全国各地に健康な畑を作り、それぞれの地域で「健康でおいしい野菜・果物をより安く作り」安定供給していくのがイズミ農園のモットーです。その健康でおいしい農産物の生産をもとに、物流・加工・調理に関連するすべての方々とのネットワークを組み、イズミ農園は前途に明るいビジョンを持って、「農=食」の健全化に努めていきます。

生産品目と主産地 【レタス】沖縄、長崎、長野、山梨、茨城、静岡、岩手
【トマト】熊本、山梨、群馬、千葉、宮崎、鹿児島、茨城、栃木
【グリーンボール】山梨、長野、北海道
【ブロッコリー】山梨、長野、群馬
【ミニトマト】山梨、茨城、群馬
【胡瓜】山梨、長野、新潟、千葉、群馬、宮崎
【茄子】高知、山梨、群馬、茨城
【玉葱】北海道、九州、山梨

※サニーレタス、玉葱、ズッキーニほか生鮮野菜多種、果物の販売をしています。
加工品目 レタス、玉葱、ニンジン
主要得意先 伊藤忠商事(株)、(株)いずみ
主要仕入先 (有)あずま産直ねっと、島原レタスクラブ、(株)野菜くらぶ
旭愛農生産組合、茨城中央園芸農協、奥中山農協
(有)山梨フルーツライン、(有)オリオン商事、(株)焼津冷凍
(有)長野イズミ、福田青果システム、梨北農協
取引銀行 甲府信用金庫、山梨中央銀行、山梨県民信用組合

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梅津鐵市(ウメヅ・テツイチ)
1949(昭和24)年 2.14 生まれ(千葉県)


1971(昭和46)年 東京農業大学農業工学科農業土木専攻 卒業
1971(昭和46)年  大豊建設(株) 入社
1980(昭和55)年  大豊建設(株) 退社 農業を志す
初年度 耕地面積:30a
1981(昭和56)年  2年目 耕地面積:300a
1984(昭和59)年  5年目 耕地面積:700a
1987(昭和62)年  泉農事組合を設立(法人化へのステップとして)
8年目 耕地面積:1200a
泉農事組合
1989(平成元)年 有限会社イズミ農園を設立
1998(平成10)年 新・株式会社「いずみ」設立 資本金3,000万円
伊藤忠商事とイズミ農園、業務契約締結
2000(平成12)年 (有)イズミ農園→園場面積2500a試験農場、技術の普及指導
全国契約農家―2000軒
(株)いずみ→流通、販売の窓口
・関東農政局 持続性の高い農業検討委員会委員 その他、3分科会委員
・農林水産省農林水産政策情報センター研究会委員
・山梨県農政推進憩話会委員
・山梨県環境保全型農業技術検討委員会委員
・社団法人日本農業法人協会運営委員
2002(平成14)年 システムブレイン講師
2003(平成15)年 日本ブランド農業事業協同組合理事
2004(平成16)年 アグリネイチャーいいじま参加
2005(平成17)年 (株)黄金崎農場社長就任
2007(平成19)年 日本ブランド農業事業協同組合副理事
2008(平成20)年 日本農業法人協会山梨支部代表
2009(平成21)年 アグリネイチャーシュワード協会講師
2010(平成22)年 ETT委員会参加。
商社依頼により中国黒龍江省へ農業指導
2011(平成23)年 (株)黄金崎農場会長就任

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